※古いブログのいくつかはアポカイブからも見れますのでお暇な方はどうぞ。
そしてついにダンロク団とTWK48の内部にアルアイレンジャーを作ることにも成功した。
この証拠写真を撮るにあたってはマスクをしてもらったので、どのメンバーかはまったくわからないはずだ。
今回、初めてのことだが、ニイボリ―メーソンのグランマスターTと、ギター界の未来について真剣に議論を交わした。
スタッフメンバーも合流し、「アポヤン道」についてもかなり深いところまで話すことが出来た。
今日の活動で我が組織と協力体制を作れる地盤が出来たと自負している。
信頼の証に、グランマスターTが極秘のアジトに連れて行ってくれた。
体裁としては立ち飲み屋なのだが、もちろん客も店員も全員がメーソン会員だ。
店名を憶えたつもりが、まったく思い出せないのはイモショーチューロックという名の聞いたことのないギリギリで合法なドラッグ飲料を何倍も飲まされたせいだろう。
このドラッグの恐ろしいところは自分自身でも次々とオーダーしてしまい、「飲まされている」ということにまったく気がつかないことだ。
さて、こちらはダンロク団とTWK48の両方でギタロンを担当している田中氏。
ギタロンはアポヤンドを使わないだけあって、アルアイレンジャーとしての適正も抜群であった。
メンバー全員で記念撮影。
また訪れたい素晴らしい施設であった。
近所にあったらヤバい施設である。
わたしはイモロックンロールショーチューを飲み続け危うく気を失いかけたが最後の力を振り絞って終電に間に合う時間に命からがらアジトを脱出した。
しかし、安心したのも束の間、藤沢から電車に乗った私の記憶は、大船駅にいるところでしばらく途絶えたらしい。
次に気がつくと「大船」のはずが「大宮」にいたのだ。
「いかん!イモロックショーチュウでトリップしてしまったのか?あるいは時空をこえてしまったのか?!」
もちろんもう戸田に戻るすべはない。
わたしは絶望しながらも諦めずに最後の望みを京浜東北線にかけた。心配はない、もしまた記憶を失ったとしても、赤羽で止まれる。また大船に戻る心配はなさそうだ。これで蕨駅まで持ちこたえて、電車を降りればミッション成功だ。
こうしてわたしは無事に蕨で降車、そこから1時間弱ほどをかけて徒歩で移動し、自宅に戻ったのである。これなら追手がいたとしても追跡は不可能だったでろう。
通常1時間半強の道のりを3時間弱をかけて移動したのだから。
また会おう、新たに誕生したアルアイレンジャーたちよ!!
迷えるアポヤンディストたちを救うのだ!!
アルアイ礼!!
(完)
さて、プログラムもすべて終了し、表彰式。
いよいよ今回の最大の目的である、我が組織「日本アポヤンド研究開発機構」の活動隊「アルアイレンジャー」を二イボリ―メーソン内部に作る作戦である。通常の賞に加え「アポヤン道賞」というものを特別に作ってもらった。
私が目を付けたアルアイレンジャー候補たちに「ノーアポヤンド・ノーライフ」ステッカーを渡しイニシエーションは完了である。
最後に今回参加のマスターたちと記念撮影。
これが表向きの正式の集合写真である。
こちらが我が組織用のウラ集合写真だ。
この写真が表に出るとニイボリーメーソンの盤石な組織力にも少なからず影響があるかもしれないし、全然ないかもしれなし、おそらく後者であろう。(その4最終回に続く)
実は私も、幼き頃はニイボリーメーソンの末端のメンバーであった。荒川区の宮の前分院で洗礼を受けたが、10代の後半からはより大きな西日暮里ロッジに移り、アルトギターも弾いていた。
控室にお弁当と一緒になんとなくアルトギターが置いてあったが、それが罠であることにはもちろん気がついていた。
この施設のアポヤン度の高さは通常のギター教室の平均値の実に320%に達する高濃度だと知っていた私は、現在の科学力で最強だと言われている不織布マスク1箱50枚入りで330円の中からランダムに取りだした一枚を着用した。
きっとわたし自身の潜在的なアポヤン度はどこかで監視されいるであろうから、弦に対する指の傾斜を事前に情報を得ていた38度にまで下げて指をやや伸ばし気味に1弦をアポヤンドした。これなら私が改造人間アルアイレンジャーであることはバレなかったであろう。
いよいよマスターズコンクールが始まり、各ロッジのマスターたちによる非常にレベルの高い演奏が繰り広げられた。
特に岡山ロッジのT田T夫マスターは一人で編曲、ソロ演奏、自分で演奏製作した映像とのコラボ、遠距離デュオ2組・・・まだあったかな?とんでもない才人であった。
(その3に続く)
秋分の日である9月23日の朝、私は国際新堀芸術学院に来ていた。
最寄りの戸田駅から藤沢までは一回の乗り換えで来れて意外と便利なのである。
行きはよいよいであったが帰りは…その話はまた後ほど。
「国際新堀芸術学院」・・・もちろん、これは表向きの名称であって、ここがあの秘密結社「ニイボリ―メーソン」、そしてその最上位組織である「エヌミナティ」の総本山である藤沢ロッヂであることは有名な秘密である。
この日は全国にあるニイボリーメーソンの各ロッヂから「マスター」と呼ばれる選ばれし奏者たちが集まる大会があった。
たまたまであるが、マスターたちは全員45歳以上である。念のためもう一度言っておくがたまたまである。
さて、そこに本来ならば対抗組織である我が「日本アポヤンド研究開発機構」に審査員を送るように依頼が来たのである。この依頼を額面通りに受け取ってホイホイ誘いに乗るほど私たちもボーヤではない。「これはきっと罠だ…」
とは思ったが、気が付けばついホイホイと藤沢まで来てしまったのだ。
そう言えば、イーストエンド国際フェスティバルでダンロク団やトゥウィンクル48(以下、TWK48)のメンバーとあいさつを交わしたから、その時に何らかの薬品を注入されたか、あるいは催眠術でもかけられたのかもしれない。
ご来場いただいた皆様、ほとんどの方が最後まで残っていただき感謝感激でございます。
間違いなく最年少のお客様、天才ギター少女まるいちゃんがホワイトボードに何やらお絵描き・・・
なんと!キムパチ先生の似顔絵を描いてくれていた!
昨年も来てくれたからもう慣れたのかな…
こちらはキムパチ先生とまるい画伯と2ショットの絵。
キムパチ先生が少し山下達郎に寄ってきた??
今回、初めてアンケート用紙を配りました。
回収したアンケートでは、全員が次回も参加するとの嬉しい反応でした!
キムパチ先生の髪は「まだ短い」という意見が多数。
ちなみにこのイベントを知ったきっかけは「夢のお告げ」という回答が一番多かったです。
第1回からコロナ禍での開催になったため、ようやく今回ちゃんとした打ち上げが出来ました。
右端手前で写っていない大坪隊長はギター界を良くするためのお話しを熱く語っていたそうです。
わたしは反対側でギター界の足をいかに引っ張るか熱弁しておりました。
あ、キムパチ先生が3弦G組の生徒一同からプレゼントをいただきました。
「これでもう卒業させてください!」というメッセージなのかもしれないが、来年もやるので生徒諸君は安心したまえ!
それではまたお会いしましょう!!
(完)
そして、帰ってきた(帰ってきてしまった)3弦G組キムパチ先生と
ギター製作第7世代!
今回は今井校長先生にも参戦していただき、生徒諸君のギターを弾かせていただいた。
昨年は7弦ギターを出展して、立たされっぱなしだった小林くんであったが今年は6弦のRFモデルを持ってきた。
サイタマフェス的には今度はもう一本増やして8弦ギターにしてまた立たされることを狙ってくるべきではないかとキムパチ先生に説教され、また立たされていた。
美しく、とても弾きやすく魅力的な楽器であった。弾きやすさにはこだわりを持っている、ということであった。
君島くんは今年は最上位モデルのSOLを出展、杉のモデルであるが、懐の深いパワーも申し分ない素晴らしい物であった。
中村くんはペグにまで美しい細工のある上品な逸品。
マダムたちにも大変好評で、性能とご利益は佐々木くんがアマコンで弾いて優勝して立証済みである。
最後の挨拶を今井校長がしてくれたのだが、それがもう本当に感動的で素晴らしいお言葉であった。
これから交渉してなんとかキムパチ先生が言ったことにしてもらえたら、改めて紹介しようと思う。
今回のトリを務めてくれたのは我らがアルアイレンジャー大坪隊長。
今月下旬に行われるポルトガルの作曲コンクールのファイナリストに選ばれている中での自作自演コンサートであった。
ギターの性能を熟知し、活動がクラシックだけにとどまらない大坪隊長ならではの新鮮なサウンドにお客さんたちもしばしキムパチ先生を見てしまった苦い思い出を忘れることができただろう。
途中、会場にいた、ドイツ留学から帰国したばかりの伊藤亘希さんが飛び入りで参加。大坪隊長のデュオ曲を演奏してくれたのであった。
こうし第3回サイタマ国内ギターフェスティバルも我々的には無事に終了した。
(その12に続く)
わたしとリュート奏者の秋山くんともかなり長い付き合いになった。
まだ彼が武蔵野音大の学生だった頃でギターを弾いていて、ぼくも留学から帰ってきてまだ30代、体重も50キロ台だった頃と思う。
秋山氏も実はわたしにレッスンを受けていた暗い過去があるのであった。
その後リュートに転向し、演奏やレッスン、現代ギター社からのダウランドの出版譜に関わったりと活躍中。
昨年もオファーしたのだがスケジュールが合わず、今年とうとう出演にOKが出て、はるか遠くの蕨駅東口から歩道橋を渡ってきてくれた。ガット弦の音をくるるホールで聴けるなんて初めてのことだったと思う。
尾崎琴音ちゃんは現在イギリスに留学中、夏休みの一時帰国している隙に出演してもらった。
まだ小学校に上がる前から上野学園の中等部に入るまで、レッスンで関わっているのだが、久しぶりに聴いた演奏は、以前よりも主張のはっきりした素晴らしい演奏になっていて、イギリスでとても良い勉強をしているのがわかった。
これからもこの調子で頑張って良い演奏家になってほしい、と親戚のおじさん的な視点で応援してしまうのであった。
このように元・師匠の狼藉を相殺すべくフェスティバルで真面目に演奏してくれた彼らには感謝している。
(その11に続く)
昨年に続きオープニングを担当してくれたのは西口のふんわり王子・左村祐樹に丸投げ。
さすがのトーク力、試奏の構成、美音で展示楽器ぞれぞれの特徴をアピールしてくれた。
演者としてはもちろんだが、裏方仕事のサポートも素晴らしく、今年も大いに助けてもらった。
昨年から参加してくださり、ユニークな視点でギターに切り込む斎藤明子さんの演奏付きレクチャー、今年は
「欲望から始まる、新たな創造!〜ホントのホントに欲しいギターを手に入れる〜」
というタイトルで昨年に引き続きポニー栗山とのコラボ。とても真面目な素晴らしいレクチャーだったはずが・・・
なぜかフィナーレはこんなことに・・・
いや、これはもちろん正しいのある、サイタマ国内フェス的には。
ただ、そこにあのギター界の絶対女王・斎藤明子さんを巻き込んでしまったことは・・・本当にすまないと思っている、とジャックバウアーのように心を痛めながらも、前進あるのみなのだ。
せっかくのミラクルを起こしてくれた佐々木くん、出演を打診してみたら「あ、その日どうしても抜けられないリハーサルが午後からあるので午前中だけ伺います。中村さんの新作も弾きたいし…」
ま、マジか?!ガーーーッン!!
「ピンチはチャンス」とよく言うが、「チャンスがピンチ」になってしまったではないか!
「パンチでデート」は「デートでパンチ」にはならないのに何故なんだよ~!と嘆いても仕方ない。
わたしはキンツマに提案した。
「ミラクル佐々木くん午前中に来るからさぁ、開演前にちょっと撮影して、編集してその動画を本番で流すようにするよ」
主催者としてやることがめちゃくちゃ多いのにそんなの不可能だと反対されたが、「撮影5分、編集15分で出来る!」と強引に決定。
前日の夜中に動画の素材として、ロゴ画像を作り、キンツマのリコーダーと私のギターでBGMを録音。
そして当日、訪れたミラクル佐々木を開場前のステージに連れ込み演奏させ、中村くんへの報告動画を撮り、前夜作った素材と合わせて編集。
なんとか本番に間に合ったのであった。
結局「ピンチはチャンスがピンチになってまたチャンスに転じてパンチでデート」になったのである。多分。
YouTubeチャンネルにアップしたのは本番では私のナレーションだった部分を字幕にして、佐々木くんの写真を入れ替えたもので、構成と尺はまったく同じものである。
完成した動画を順に公開して宣伝活動の追い込みに入っていったが気がかりな事がひとつあった。
工房訪問のできなかった桶川最強の男・中村玄太80キロの紹介をどのようにしていくかだ。
途方にくれて現実逃避のジャンプカットに明け暮れる我々の前だか斜め後方あたりに救世主が現れた。
我が家で「良いほうの佐々木」と呼ばれている、普段はシステムをエンジニアする男・佐々木宜弘40才だ。
全日本アマチュアギターコンクールでなんと12年越しの挑戦で優勝、しかも昨年購入したという中村玄太ギターを使用しての優勝であった。
ちなみに我が家で「悪いほうの佐々木」と呼ばれているのこの男、すっかりリュート奏者になってしまった佐々木勇一だ。
写真はリュートショップから大量のリュートを盗み出して逃走中の佐々木。
この写真は逃走中に保護色を利用して追手から隠れる佐々木。
そしてこちらはついに捕獲された佐々木である。
左は、重要参考人を逮捕し安堵の笑みを浮かべるデュッセルドルフ市警察署長。
話は脱線したが、キムパチ先生コーナーで佐々木くんに登場してもらい中村ギターで受賞した話と演奏をしてもらえば良いではないか!
本人はフェスティバルに来るって言ってたし。万事うまく行く!
・・・しかし、事態は思わぬ方向に向かい、奇跡はピンチへと変わるのであった。
(その8へ続く)
今回の動画のプロデュースと主な編集作業は、その重い腰で有名な世界のキンツマ先生が担当。
そのキンツマ先生、オープニング動画の音楽は、わたくし金庸太が用意した「贈る言葉」の替え歌をボツにし、「人として」のイントロのみのショートヴァージョンに、そしてメロディーのリコーダーを自ら担当した。
キムパチ先生の呼び掛けに対する生徒たちの返事は、キンツマ先生とわたしで声色を変えながら多重録音、セミの鳴き声は実は上田市のアポヤン道セミナーハウスの庭で録音したものである。
上田アポヤン道セミナーハウスについてはいつか説明するかもしれないししないかもしれない。
オープニングの映像は小林くんの工房の周りの大自然で撮影した。
小林工房の動画の次はポニー栗山の動画を編集、エンディングには6月に行われた「第1回ポニー栗山被害者の会」での画像を使用した。
その後の今井工房編からはエンディングの音楽も新たに録音して付けた。
せっかくなので、河野ギター製作所の4部作完成後に、小林工房改訂版を作り、エンディング音楽と、挿入曲も付けくわえた。
ちなみにポニー栗山工房編の改訂版を作るつもりはない。
挿入曲は基本的に、出てきたワードのダジャレになっていたりするので注意して曲名を当ててほしい。
一番の難問は「治具」の部分であるが、あるアニメのオープニング曲を使用している。おーっとヒントはここまでだ。
(その7に続く)
最初の河野ギター製作所と小林工房を訪れたのが7月の頭、そこから3週間以上開いた暑い日に、ポニー栗山工房と巨匠今井工房を訪問。
井草にあるポニー工房は河野ギター製作所の踊り場ぐらいの広さであった。
ちゃちゃっとあっという間に訪問を終え、前回の訪問メンバーである、ポニー、キンツマ、私で、クルマだとさほど離れていない中野の今井さんの工房に向かった。
今井さんのお宅で昼食をたらふくご馳走になり、工房訪問を忘れてそのまま帰ってしまうところだったが、何とか思いとどまり、いざ工房へ。
今井さんお宅に最初にお邪魔してから30年ほどになるが、工房に入るのは実は初めて。
材料な製作にまつわる貴重な話を聞けて、これでポニー工房でのマイナスを相殺してあまりありそうで助かった。
「捨てる栗あれば拾う今井あり」なのである。
今井工房は前編と後編に分けた。
美味しいおそばをご馳走になり、河野ギター製作所の撮影を終えて、その足で一行は、相模湖の奥地の秘境にある小林良輔工房へ。暑い暑い日であったが、きっと自分で煮出したであろう冷たい麦茶とお菓子で持てなしてくれた小林くん。
河野ギター製作所での身の丈に合わない真面目な撮影をしてしまった我々の強力な揺り戻しによるボケにすべて乗ってくれて、ドキュメンタリーに欠かせない「感動」や「学び」を一切排除した動画になった。
これを最初の編集&アップロードとし、このシリーズを通しての我々ポリシーの「基準」となったのであった。
後に改訂版を作ったので、旧ヴァージョンと両方を観比べるのもよし、である。
サイタマ国内フェスのことはとりあえず忘れて、ソロリサイタルに専念した結果、ソロリサイタルを終えてもサイタマ国内フェスのことをしばらく思い出せないというピンチもあったが、どうにか宣伝活動を再開した。
今回は初の試みで、3弦G組キムパチ先生が家庭訪問よろしく「生徒たちの工房を訪問する」という動画シリーズを始めてみた。
この動画シリーズ、アップロードした順番は実は入れ替わっていて、最後にアップロードしたサラブレッド君島が働く河野ギター製作所が、一番最初に訪れた工房であった。
私たちは、初めて訪れた河野ギター製作所のあまりの規模の大きさと、それによる撮影の尺の長さに完全にビビり、得意の「とりあえず忘れる」作戦に出て、動画編集を最後に回したのであった。
案の定、動画は4回に亘る感動巨編ドキュメンタリーになったのだが、実際にはサラブレッド君島の工房見学者に対するガイドの内容と順序が完成しており、意外と編集は楽であった。
その昔、ギター製作家を志すと決意した時に、ならばギターを弾けなければならないとギター教室の門を叩いたが、なんとその師匠がキムパチ先生だったという不幸なスタートを切ってしまったサラブレッド君島くん。しかもその後、約一年間にわたり「霧島くん」と間違って呼ばれ続ける受難付き。なかなかそこを指摘出来ずにいたぐらい控えめな青年であったが、しかしそんな過去はしっかり封印し、しっかりと工房を紹介し、良いギターを生み出し続けている。
ちゃんとしたフェスティバルはどうか知らないが、少なくとも奇祭は会場の確保が必要である。
会場は我々の主催イベントには欠かせないアポヤン道のメッカ、「蕨市くるるホール」、いや「蕨市文化ホールくるる」じゃなくて「蕨市民文化ホールくるる」、いやいや「蕨市立くるる文化ホール」と毎回正解が出ずに間違える「蕨市立文化ホールくるる」である。
月初めの抽選に通い、とりあえず「保険」として確保できた8月の7日は、後に9月4日使用権を獲得したために「金ちゃんの夏、日本の夏。」という私のギターリサイタルで使用することに。
久々の普通にギターを弾く(?)ソロリサイタルの準備は新作初演もありなかなか大変で、7月にちょっとした生活環境の変化もあり、サイタマ国内フェスのことはとりあえず忘れて、ソロコンサートに集中したのであった。
クラシックギター唯一の奇祭、サイタマ国内ギターフェスティバルが、残念ながら今年も行われてしまった。
この奇祭を阻止するためにはギター界をあげての圧力、抗議デモ、座り込み、署名集めなどの反対運動が必要だろう。
業界諸兄のさらなる団結を期待している。今年のメンバー、展示製作家チームは昨年に引き続き
世界の巨匠・今井勇一、ギター製作界のサラブレッド・君島聡、井草のポニー・栗山大輔、相模湖のヒットマン・小林良輔、桶川最強の男・中村玄太80キロの4名。
演者チームは、ギター界の絶対女王・斎藤明子、東口のガットマン・秋山幸生、西口のふんわり王子・左村祐樹、おしゃべりインドまつ毛・大坪純平、浅草橋の元レディース総長・尾崎琴音、3弦G組キムパチ先生の6名であった。
このメンバーを束ねてこの奇祭を成功させるべく尽力している夢を見ながら昼寝をしていたのは、主催の蕨ギターアンサンブルに所属し、企画運営のオフィスウマジン代表である、世界のキンツマであった。
こうして9月4日の本番に向け、それぞれが重い重い腰を上げたのであった。
(その2に続く)
続いては2019年に国内で行われたギターアンサンブルのコンクールをすべて制覇した超インテリギターデュオ・Sound Holes(木村 崇雅、金丸 花実)
木村くんは不幸にして金庸太の弟子なのだが、金丸さんは決してそうではないことを彼女の名誉のために記しておこう。
なぜ彼らが「超インテリギターデュオ」かと言うと、なんと東大と京大出身なのだ!
そして学生時代からすでにデュオをやっていたとのこと。
私は常々、「Sond Holes」より「東大くんと京大ちゃん」というデュオ名のほうが良いのではないか?と提案しているのだが、当然却下され続けている。
関東と関西、お互い遠距離に住み、フルタイムで働きながらデュオ活動を継続し、しかも本気で世界レベルのギターデュオチームを目指している。
そしてそれは確実に近づいているのだ。
木村くんは先月、大阪で行われた日本ギターコンクールで2位、翌週に行われた九州ギターコンクールで優勝、とソロでも快挙を成し遂げたのであった。
高校卒業に5年もかかった過去がある低学力の師を頼らず、YouTubeを見て研究したり、こっそり他の先生に習いに行った努力が実ってのことだが、現在のギターコンクールでは。フルタイムで勤務しながらのコンクールに出場して入賞、ましてや優勝することはかなり難しい。
それを「宣言」して「実行」して「結果」を出したことには驚くばかりである
(ちなみに金庸太が「宣言」して「実行」して「結果」を出したのは月謝の値上げぐらいだ)。
それでも、ソロのキャリアはデュオのためで欲しかったそうで、あくまでもこのデュオがメインらしい。
「コンクール優勝記念」でソロ曲を少し弾いても機会だが、今回もデュオに専念して素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
Sound Holesで、珍しく良い話が出たが、残念まがらまたギター界の足を引っ張る負のレガシー企画である。
斉藤さんとの打ち合わせの時の、ポニー栗山の弦交換の早さに驚き、この企画を思いついたのであった。
提案してみるとポニー氏はあっさり承諾。
「悪いけど、ぼく多分世界一速いっすよ」とのこと。
そういえば、昨年のサイタマ国内ギターフェス、「キンちゃんシャンソンショー」の中でもエチュード速弾きスピード対決をしていたのであった。
※動画はエチュード侍と横村福音ちゃんの頂上決戦の様子である。
ポニー栗山を暫定スピード王として、挑戦者を世界中から募ったのだが、恐れをなしたのか、まったく興味を持たれなかったのか、おそらく後者であるが、待てど暮らせど挑戦者がなかなか集まらないのである。下は募集動画。
万策尽きて困り果てていたころ、思いがけず、身内から強力な挑戦者が現れた。
ギター製作第7世代の学級委員長、君島聡である。
彼は、世界の名工であった河野賢氏を祖父に、同じく世界の名工で現在河野ギター製作所を引き継ぐ櫻井正樹氏を伯父に持つ、まさに「ギター製作界のサラブレッド」だ。
「ギター製作界のサラブレッド」が「ポニー」に負けるわけにはいかない。いや、負けるはずがないのだ!
そしていよいよ、決着の時がやってきた。
一応プロのギタリスト代表として金庸太も参戦。
前回の動画撮影でまったく太刀打ちできないと思い知り「秘密兵器」を用意してきた。勝つためには手段など選んでいられないのだ (続く)
キムパチ先生の長髪が短くなったのを見計らって生徒たちのギターを試奏。
この日まで泣きながら小林くんの7弦ギターのための練習をしてきたキムパチ先生。
悪夢にうなされた日々もこれで終わりである。
短くまとめた動画は以下 ↓
続いての演目は
斎藤明子プレゼンツ、演奏付きトークショー
「"井草のポニー" 栗山大輔、その生涯と作品」
・・・ではなくて、
斎藤明子&栗山大輔トークショー「写しとる!」
であった。
進行までしてくださった斎藤明子さんの呼び出しに応えて舞台上手からうつむきながら出てくるポニー栗山。
ワイヤレスマイクの代わりに某アイドルグループの応援時に使っているペンライトを持って出てくるという渾身のギャグを披露・・・
案の定、ほとんど事故レベルですべってしまい、登場するなり舞台でうつむいてしまった。
このために使用料がべらぼうに高いワイヤレスマイクを借りたのに・・・
ポニー氏、いつになく不調であったが、実はこれはただの前兆に過ぎなかったのである。
最大の事件は「弦交換スピード王決定戦!」の中で起きたのだが、それはまた後ほど・・・
ポニー氏の椅子に置かれているのはポニー氏の書いたニワトリのデッサン。
元美大生の本領は発揮したが、それぐらいで「事故」は取り戻せないのである。
ポニー氏のギターを弾く斎藤さん。
冒頭でスベったショックか、せっかくの斎藤さんの演奏中も、ただ所在なさげにうつむくだけのポニー栗山。
しかし斎藤さんのトークと演奏で素晴らしいコーナーになった。この日、新たに斎藤明子ファンになった人も多数いたのであった。ちなみにうしろの巨匠たちの書いたニワトリ、左から若冲、ピカソ、キーム・へリングである。(続く)
2021年9月5日、緊急事態宣言が出ている中、今年もサイタマ国内ギターフェスティバルが行われた。
こんな時期だから規模を縮小して・・・ということはまったくなく、むしろパワーアップして開催。
演奏者も増えて、展示製作家も5名に。
11時半開演で、終わったのはなんと19時過ぎ!!長すぎではあるが最初から最後まで観てくれた方々が多くてうれしい限りであった。
開演間もなくステージに浮かび上がったのは真っ暗な夜道でひたすら縄跳びをする蕨のミスターロンリー・左村祐樹の動画。
もちろん舞台袖で出番直前の左村氏は初めてこのことを知り、動揺を隠せない。
初参加でいきなり洗礼を受けた左村氏ではあったが、さすが百戦錬磨の鉄人ギタリスト、さらに徹夜明けであったにもかかわらず、落ち着いたトークと美しい音でソロを演奏。
しかしそんな鉄人に更なる試練が。
助太刀をするはずの師、金庸太がまさかの打ち合わせと違う演奏。
繰り返しでパートを入れ替えるはずがそのまま同じパートを引き続けた。聴衆にはまるで左村氏がミスをしたように聴こえたであろう。しかもパートの入れ替えを提案したのは金庸太本人である。日本ギター史に残る裏切り行為として後世まで語り継がれるであろう。
ほとんど打ち合わせなしで、舞台に上げられた何の罪もない生徒たち。
「真面目にギターを作ってきたのにこんな目に合うなんて・・・」
そう思っている生徒たちに世の中の不条理について語りかけるキムパチ先生。
もちろん「あれ」に寄せようとしているんだけど何かが少しずつビミョーに全部違う感じのキムパチ先生。
構わず、今後の彼らのキャリアに泥を塗り続けるキムパチ先生。
「7弦ギターを作ってきた」という理不尽な理由で、大勢のお客さんの前で、キムパチ先生に立たされる小林良輔くん。
それにしても、立たされ方があまりにも様になっているのには驚いた。
過去に散々立たされたキャリアを感じさせる。
小中学生用の「正しい立たされ方」として標本にしたいほどだ。(続く)
そして、いよいよ始まってしまう「キンちゃんシャンソンショー」。
クラシックギター界に「負のレガシー」が作られる瞬間を、残ったお客さんたちは目撃するのである。
そう、「残ってしまった客の後悔の涙で、新たに荒川の支流が出来た」と後世に語り継がれるのがこれである。
・・・今さらですけど、ホントにすみません、としかいいようがないのである。
まずは「負のレガシーの主犯格」エチュード戦士ペロワちゃんZ 久々の登場。
いつものエチュードメドレーを。
「オフィス・ウマジン期待の大物新人」とキンツマ代表だけが言っているエチュード侍は、横村ホットシスターズの妹・福音ちゃんと「エチュード速弾き対決」。
ネネちゃんがすごいスピードで弾き切り、エチュード侍、見事に敗北・・・
次は「エチュード目隠し対決」
こちらもこの日初挑戦だったネネちゃんの圧倒的完成度の前に撃沈・・・
エチュード侍、惨敗であった。
対決に続いて、初めてのチャンレンジ。
フラフープを回しながらエチュードを弾けるかどうかであったが、ギターを受け取った瞬間に落ちまくるフラフープ。
これは無理だとわかると、客席にいたマダムに丸投げする傍若無人ぶり。
いいとこなしであったが、今後に期待したい。
そして、今回一番力をいれたキンツマ代表との夫婦漫才。
合宿の成果は出たと信じたい。
シャンソンショーなのにシャンソンがないのはさすがにマズい。
私がシャンソンを一曲演奏して終了した。
17時半頃終了、19時まで開場しているのだが、ほとんど全員帰ってしまったのを見ると、歴史的イベントに立ち会い、皆さんよほど疲れたのであろう。
若いギタリストたちにはやっていいことと、やってはいけないことの境界線のはるか先を見せることが出来て大変有益だったと思うし、そういう意味でギター界に貢献したと思う・・・ことにする。
しかし、主催者、エチュード戦士ペロワちゃんZ,、エチュード侍、夫婦漫才、自分自身の5人分(❓)の荷物を持っての移動は大変であった。
帰宅してとりあえずクルマから運んだものの半分ほどの荷物が翌朝もまだ玄関前にバリケードを張っていた。
仕方ないのでこのバリケードを突破してレッスンに出かけた。
(※画像 エチュード侍、翌日のカツラかげ干し)
こうしてサイタマ国内ギターフェスティバルは平和なクラシックギター界に「キンちゃんシャンソンショー」という取り返しのつかない黒歴史を作り、幕を下ろした。
第2回があるかないかは、歴史による裁き・・・ではなくキンツマ代表の気分次第であろう。
ちなみに、“井草のポニー”栗山大輔氏のブログに今回のサイタマ国内ギターフェスティバルのレポートがある。一応リンクは張ったが決して読まないほうが良いと強く警告しておく。(完)
★追加の業務連絡
サイタマ国内ギターフェスティバルで素晴らしい演奏を聴かせてくれた横村福音さま~、横村福音さま~。
「あの師匠の弟子とは信じられない」
「あの師匠の弟子とは信じたくない。」
「あの師匠の弟子とは信じちゃいけない」
などと言われていますが、残念ながら私の大きな影響を受けてしまっているようです。
フェスティバル当日の足台の忘れ物は私が預かっています。次のレッスンの時に持っていきますが、たぶん忘れちゃうと思うので、もし忘れなければ前日の夜にでも確認の連絡をください。
いよいよ本番スタート。
大坪隊長による「展示楽器試奏コンサート」。
流ちょうなおしゃべり、美しい音色、楽器の個性も考えた選曲と演出・・・任せて安心、さすがアルアイレンジャー隊長。
大坪隊長はテクニックはもちろん、本当に音がきれいなんだよね。
写真は“ギター界のサラブレッド”君島聡さんの楽器。
続いて、“世界の名工”今井勇一さんの新作ギター。
今井さんのギターは人気ありすぎでなかなか在庫がないので、この日は試奏する貴重な機会であったはず。
そして“井草のポニー”栗山大輔くんのへんてこりんなギター。
これはフランシスコ・シンプリシオという100年前の名工が10台ぐらいだけ作った変わったサウンドホールのギター。
こういう楽器を作りたがるひねくれものなのよ、クリヤマポニーちゃんは。
写真は「な、なんじゃこりゃぁ~!」
と大坪隊長が太陽にほえろのジーパン刑事のように驚いているシーンかもしれません。
といっても、若い人にはなんのことかわからないでしょうから、参考画像を載せておきます。
お父さん、お母さん、10代以下の子はおじいちゃん、おばあちゃんにでも聞いてください。
休憩をはさみ、14時半からは「フレッシュギタリストによるコンサート」
出演は、昨年と一昨年の「イーストエンド国際ギターコンクール」の優勝者ということで、優勝賞品のCDデビューを提供・制作されたホマ・ドリームの竹内永和さんが挨拶と演奏者の紹介、CDレコーディングの際のエピソードなどを話してくれました。
まずは原田とおいくんのソロ演奏から。
大序曲、バッハ、リョベートなど、今持てる若さをすべて注ぎこんだような情熱的な演奏。
多くのギタリストが手掛ける定番曲で、手垢にまみれた演奏にならないのが彼の強み。
そして、後半は、横村嘉乃(かの)、福音(ねね)姉妹による「横村ホットシスターズ」の演奏。
幼いころから一緒にレッスンに通っていたのだが、頑なにデュオを嫌がっていた2人が、何故か今回デュオでの出演を希望。
で、デュオをやってみたらいきなり世界レベルでお口あんぐりの完成度!
いま国内の常設デュオでは、昨年コンクールを総なめにした「サウンド・ホールズ」か「横村ホットシスターズ」のどちらかが一番では??
もう本当にトオイくんのCDもネネちゃんのCDもとても良いので是非購入してください。
それにしても、まったく若い子たちは驚異的なレベルで、私のようなロートルギタリストはこれからどうしたら良いのやら・・・若い芽をしっかり摘みきれなかったことを大変後悔した(続く)
さて、いよいよサイタマ国内ギターフェスティバル当日である。
どういう因果か、エチュード戦士ペロワちゃんZ 、エチュード侍の分の荷物も、わたしが準備して運ぶのである。
これが予想外の多さで(そりゃそうだよ、出演者3人分だし)、出発見込み時間を一時間のオーバー、一向にお弁当を取りに来ない私を心配して伊勢屋さんからも連絡が来る始末。
前日に作った持っていく荷物のリストをひとつひとつチェックしながら、用意しクルマに積み込み続ける。そして出発、キンツマ代表を会場で降ろしてそのままお弁当の引き取りに行って、けっこう遅れて会場入り。
荷物は完璧だと思ったのに、会場についてしばらくしてから、フラフープを忘れたことに気がついた。
開演前の時間に自宅まで取りに戻り、事なきを得たのだが、原因はこれ。
リストを作っているときに何故か「フラフープ」という言葉を度忘れ。
絵で書いておいたのだが、これがチェックを外れても気がつかなかった原因のよう。
自分で自分を罠にはめて見事に成功してしまったような気がしている・・・。
それにしても、このリストにあるのは「正しい」ギターのコンサートには必要ない物ばかりである。
さて、ここで皆さんが一番気になっているであろう、伊勢屋のお弁当の内容をご紹介。
キンツマ代表と私が前日に店先で激しい攻防を繰り広げた末に選ばれた5品である。
上段 左から 海老天むす 五目いなり
下段 左から、しゃけおにぎり、昆布おにぎり、塩大福
わたしがフラフープを取りに行ったりして右往左往している間にもすでに会場にはお客様が。
“世界の名工”今井勇一さん。もちろん、世界中のプロが絶対の信頼を寄せて安心して使う、さすがのハイクオリティでございます。音色、パワー、バランスの良さ、すべてが超高いレベルで達成されております。音がのびやかでございますねぇ~。
ちなみに、わたくしの最初のCD「ヴァリエ2」はすべて今井勇一ギターで収録しております。
税抜き 2000円 まだ在庫けっこうあります。買ってちょーだい!
“ギター界のサラブレッド”君島くんのギターはトラディショナルモデルとのことでしたが、「これはダブルトップですよね??」と質問してくる人が多いほどものすごい音量です。
もちろんそうではなく、繊細な音色、河野ギター伝統の抜群のバランスの良さは保ったまま音量を確保した名器でした。
彼はもう一つ、自分で考案したタイプのギターもあるのですが、こちらもすごいです。
いつかチャンスがあれば是非手に取ってみましょう!
さて、先ほどの今井さんの写真、右に振ると・・・あれ?あの男が自分のギターを放置したままで、いないではないか。
・・・“井草のポニー”クリヤマくんはホワイエで油を売っていました。
お前が売るのは油じゃなくて、自分のギターだぞ~!
ちなみに、わたくしの二枚目のCD「ギタロマニーの凱旋」は9割がたポニーくんギターで収録しております。
税抜き 2500円 まだまだまだ在庫あります。こっちもよろしく買ってちょーだい!(続く)
山中湖での合宿を終えたキンツマ率いるオフィスウマジン一行は、すぐに帰って練習すればよいものを「昼食は中華街で食べたい」という代表の一言で東京を横断し、横浜へ。
食事の後は、念願だった三渓園へ。
最後は池面に浮かぶ夕日を見ながら金妻ロードショー。
エチュード戦士ペロワちゃんZ の練習も順調で、フェスティバル用の告知動画を作ってくれたが、センスが謎過ぎて意味がわからない・・・
そして、こんな時でもアクシデントは容赦なくやってくるのである。
洗濯機が大ピンチ!スイッチを押し続けないと電源が入らない!ギャーッ!!
いただいたばかりの「ある物」をスイッチ部分にテープで固定、ゴムバンドで締め付けてなんとかごまかしながら使用する。
「ある物」とはなんと・・・栃の実である。
フェスティバル終了翌日に新しい洗濯機が納入されるまで、この作戦で何とか乗り切ったであった。
リサイクル品として引き取られていくために約15年ぶりに外に出た三菱の洗濯機。
これだけ使えたのだからまた三菱でも良かったのだが、もう洗濯機は作っていないそう。
戦闘機は作るのにね。
戦闘機より洗濯機のほうがよっぽど人のために役立つのだが。
つい話が脱線してしまったが、アクシデントはまだ続く。貴重な何も仕事の入っていない練習日に、アパートが半日の断水・・・。
仕方なく近所の施設を借りてキンちゃんシャンソンショーでの夫婦漫才の練習。
そして、本番前日。
翌日本番当日のお弁当の品選びと注文、支払いも済ます。
完璧だ。
伊勢屋のお弁当さえそろえばもうあらゆるイベントは成功間違いなしであろう。
そしてこの日の昼食もついでに買ったのであった。焼きたてだったのでつい買ってしまった焼き餅が信じられないほど美味しかった。
“井草のポニー”クリヤマくんが「弁当には唐揚げは入れてください!」というので「わかった」と返事をしたのだが、キンツマ代表に却下され、えび天むすにあっさり変更された。
本番前日の夜は何故か眠れず、結局8時間ほどの睡眠だったが、もしかしたら昼寝を二回したせいかもしれない。
さぁ、次回はいよいよ本番当日である。(続く)
出演者も決まり、コロナもなんとなく落ち着いた(?)ので、これから宣伝開始!と思った時点で、すでに本番まで2カ月を切っていた。
なにから手を付けて良いのやら、キンツマ代表と私はしばらくは右往左往して家の中をクルクル回っていただけであったが、キンツマ代表は重い腰を上げて、SNS用のチラシを作り、宣伝用の動画も製作した。
私はそれらを使いFacebookやらTwitter、インスタグラムで宣伝し、ウェブサイトにも専用ページを作った。
チラシは配布させてもらえそうなコンサートが全然ないので印刷はやめた。
そして本番一週間前には、ギターショップメディア・カームさんの粋な計らいで、生配信ライブに出演、大いに宣伝させていただいたのであった。
せっかくのYouTubeチャンネル登録者数1000人達成記念イベントにギター界のダークサイトからゲストを呼んでしまったメディア・カームさん・・・きっといつか良いことがあるような気がします。これに懲りずにまた呼んでくださ~い!
残り一週間を切って、もう打つ手は全部打ったが予約数は少ない・・・このままでは、ありえないほどのソーシャルディスタンスを保てるであろう。
3密には程遠い状態になってしまう。
もしかしたら、当日、サイタマ県内で一番安全な場所になるのかもしれない・・・。
そんな不安を一切持つはずもないキンツマ率いるオフィスウマジンアーチストたちは毎夏恒例の山中湖への合宿に出かけた。
合宿では練習だけではなく、社会の様々な問題について、アーチストたちが夜を徹して議論していた。
今回の主なテーマは、「日本蕎麦に替え玉システムは存在し得るのか?」
であった。
いきさつはこうである。
昼に天ぷらそばを頼んで、300円の替え玉を注文したら、蕎麦と天ぷらを同じツユで食べるので全然足りなかった。不幸にして、この店のツユは決して濃い目のツユでもなかった。お代わりを頼んだら有料だと言う。
普通なら躊躇するところだが、ツユをつけない蕎麦を食べるのは厳しい。
せっかくだからと頼んだら会計の時にツユが350円だった。
替え玉が300円で、ツユが350円。ちなみにこの店のもり蕎麦の値段は680円である。
この社会の秩序を揺るがしかねない問題にアーチストたちは練習そっちのけで、それぞれ熱弁をふるったのであった。
ようやく練習を始めてもキンちゃんシャンソンショーとは全く関係ないことにほぼ全精力を注いだ意義深い合宿であった。(続く)
「キンちゃんシャンソンショー」という邪悪な企画が実現に向けて動き始めた頃、ひとりの若き製作家がわたしを訪ねてきた。
あの河野ギター製作所に勤め、あの河野賢氏を祖父に、桜井 正毅氏を叔父に持つ “ギター界のサラブレッド”君島聡である。
実は彼は、ギター製作家になると決めた大学生の時から、河野ギター製作所に入社するまでの間、これまた不幸なことにわたくし金庸太にギターを習っていたのである。
しかも、この師匠、何を勘違いしたのか彼のことを一年以上「キリシマくん」と呼び続けて、一向に気がつかない師匠に業を煮やし、泣く泣くメールを送り訂正を請うたという因縁付きである。
君島くんが背負った不幸な運命は入社以来平穏を保っていたのだが、神様は時にこのようないたずらを仕掛けるのである。
10数年ぶりに新作ギターを見せに来てしまったタイミングが偶然に今とは!
こうして“ギター界のサラブレッド”君島くんは、“井草のポニー”クリヤマくんと並んで、まんまとギターを出展されられることになってしまたったのである。
さて、展示ギターを舞台で試奏してくれるプロであるが、すでに今井ギターとクリヤマギターのオーナーでもあり、アポフェスで数々の邪悪な企画を量産してきたアルアイレンジャー大坪隊長しかいないだろう。
もはやギター界のダークサイドを代表するギタリスト、ダース・ベイダーみたいなものであろう(わたしは「スターウォーズ」という映画はまったく観たことがないのだが間違いないであろう)。
もちろん、二つ返事で引き受けてくれた。大坪隊長もこの春にCDを発売しながらイベントが打てずにいたのだが、これは過去のアポフェスでギター界に負の遺産を作ってきたことに対する神様のお仕置き、と解釈してよいだろう。
これで、新作ギター展示、ギター展示試奏会、フレッシュギタリストたちによるコンサートが無事に決定。
残すは、「キンちゃんシャンソンショー」をどうするかである。
わたしは所属事務所オフィス・ウマジン代表のキンツマに相談をした。
特別ゲストは案の定、同じ事務所所属のアーチストたちと、なんとキンツマ代表自身であった。
*写真下 左から エチュード戦士ペロワちゃんZ 、エチュード侍、キンツマ&私
・・・出演料を削っただけ、としか思えないキャスティング。
しかも、それまでのせっかくのギター展示やコンサートをすべて台無しにすること間違いなしの負のパワー・オールスターズである。
はたしてサイタマ国内ギターフェスティバルはどうなってしまうのか??・・・(続く)
9月19日(土)、サイタマ国内ギターフェスティバル in 埼玉(って当たり前か…)が願わくば無事に終了した。
個人的には、構想3年、妄想8年、実際には年末にシャレで架空のコンサートとして宣伝した「キンちゃんシャンソンショー」を、とうとう本当にやってしまったのであった。
本来この日は、“世界の名工”今井勇一さんと、“井草の馬の骨”栗山大輔氏と共に、クラシックギター展示会「ハカラン魂!!」をやる予定で、2回にわたって今井邸に押しかけ、しゃぶしゃぶやすき焼きをご馳走になりながら綿密な計画を立てていたのであった。
しかし、コロナ騒動でやむなく無期限延期・・・。
(写真下 左:ダイスケちゃん 右:今井勇一さん)
かといってせっかくの会場をキャンセルするのももったいないので、シャレで架空のイベントとしてSNSに投稿していた「キンちゃんシャンソンショー」をやることにしたのであった。どーせ、客はこねぇだろうし、好き勝手やったろ、みたいな。
写真下 左:横村ホットシスターズ 右:原田とおい
「あ、だったら、いつものアポフェスみたいに、ギター展示も同時にやっちゃったら良いんじゃない?」
と思いついた。
そういえば、「金庸太の弟子」というだけでも気の毒な上に、そのハンデを乗り終えてコンクールに優勝、この春にその記念CDを発売したけど、発売イベントも出来ない泣きっ面にハチの弟子たちもいたから、出しちまおう。
「あいつら上手いから、あとはオレが何をやっても許されるじゃねぇか、そうだろ?イヒヒヒヒ」
と、私の心の中のほとんどを占める悪魔がささやいたのであった。(続く)
エンドロールの途中で私は会場を飛び出した。映画の途中で、傘とフリースがないことに気がついたからだ。
私は頭の中で、映画の中の福山雅治のセリフのように呟いた。
「もし、またフリースをなくしたことをキンツマさんが知ったら(※前科あり)、ぼくは死ぬよ」
頭の中で石田ゆり子が微笑みながら言った。
「きっと即死ね…さよなら」
もしすべてを失ったとしたらこの映画鑑賞にかけた金額は一体いくらになるのだろうか…私は身体の震えを抑えることが出来なかった。
埼京線人身事故でギリギリ到着になり慌てたのが原因だが、傘は上映前に入ったトイレにそのまま置いてあり、フリースは問い合わせたら落としもので届いていたので無事回収。
規定の用紙にいろいろ書かされたが(実はこの半月で二回目)、無事に戻ってきた。
これで恐怖に怯えた時間も思い出になった。
確かに未来は過去をも変えられるのであった。
キンツマの実家に私が書いた例の年賀状が届いたそうだ。
元祖天才キンツマのパパは例年通り大きい声で朗読し始めたが、ボケが一切わからず途中で放棄してキンツマのママに交代、キンツマのママも本当に私が病気になったと思って心配した、と小学生の姪っこちゃんからラインメッセージが来た。
この後、すぐに新年のご挨拶に電話をしたのだが、「続きを読みたい」とも「もう書かんでもよろしい」とも言われなかった。
とにもかくにも新年早々怒られなくて良かった。
不義理も失礼も承知で、基本的に年賀状は書かない主義を通している。
きっかけは若い頃に読んだ、やはり書かない主義であった團伊玖磨さんのエッセイに大変共感したからなんだけど、もはやその内容は憶えていない。
要するに良い言い訳を見つけただけなのだ。
しかし、家庭の平和のために、大阪に住む義父への年賀状一枚だけは必ず書かされている。
という訳で、毎年当たり障りのない感じで書いているのだが、どうやら元祖天才キンツマのパパが、ぼくの年賀状だけ皆の前で大きな声で読み上げるらしい。家族の一員であるのにその場にいない私を気遣ってのことだと思うのだが、それだけに
「テキトー過ぎる年賀状でとても恥ずかしいから、ちゃんと書くように!」
とキンツマは何度も念を押して帰省した。
家族の和も大事だし、新年早々キンツマを怒らせるのも得策ではないので、皆の前で読み上げられることを考えて、めちゃくちゃ頑張って書いてみた。
「あのメリークリスマスから早一週間、お正月になりました。お義父さん、お義母さん、○さん(※義弟)、○○さん(※義弟の嫁)、○○ちゃん(※姪っこ)、美和ちゃん(※キンツマ)、そして大勢お集まりの枚方市民の皆様、明けましておめでとうございます。
わたしがいる埼玉県は現在12月30日です。そちらではもう紅白歌合戦も終わったことでしょう。楽しみが減るのでどちらが勝ったか結果は知らせないでください。お願いいたします。時が経つのは早いもので、美和ちゃんが大阪に旅立ってから、もう3日も経ちました。元気で過ごしていますか?もうそちらでも友達は出来たかな?
美和ちゃんが住んでいた頃とは東京も埼玉もすっかり変わってしまいました。大人たちは姿を見せず子供たちは学校にも行かず昼間からブラブラしています。数少ない大人たちは、彼らを見ても注意もしません。ぼくは一人寂しく留守番をしていますが、一人では食欲もなく、一日に三度しかご飯がのどを通らないほどです。夜もせいぜい8時間ぐらいしか眠れません。心配で病院に行きましたが、先生は「バカにつける薬はない」と言いました。「それでは飲み薬で結構です」と言ったら「忙しいから帰れ」と言われました。もしかしたら不治の病かもしれません。(来年の年賀状に続く)」
書き終えてすぐに
「頑張ってちゃんと書いた」
とキンツマにメールで報告した。
「ありがとう💗お父さんも喜ぶと思うわ!」
と返事が来たので、それはどうかなぁと思ったが、もう送ってしまった。
新年早々家族会議で裁きを受けるかもしれない…
我が家では、クリスマスとかハロウィンとかバレンタインデーとかそういうイベントに軽々しく与しないことを信条としていますが、お仕事としてはこのようなイベントでの演奏も喜んでお引き受けしますので是非ご依頼ください。
「サンタの恰好」で「にこやかに演奏」することもオプションによって選択できます。
*画像は「にこやかに演奏」を選択されなかった場合のものです。ぜひ参考になさってください。
「分刻みのスケジュール」などと言うが、私などは「秒刻み」で動いている。
最寄りの駅で仕事に間に合う電車に乗れるかどうかは、現在の時間が
「7時19分5秒」
なのか
「7時19分48秒」
なのかでは致命的な差になるのだ。
駅手前の交差点の信号を遠くから見ながら、ダッシュして渡るか、あきらめて体力を温存してその次に備えるか、も「秒単位」での状況判断になる。
駅まで移動してる最中の時間は細目にチェックしたいところだが、スマホ画面をいちいち立ち上げるのは大変だし、ガラケーをポケットから出していちいち開くのも面倒だ。
わたしのガラケーは開かなくても表側の小さなディスプレイに時刻は出るのだが、日中の陽にあたるとほぼ見えないし、いずれにせよ単位は「分」までだ。
しかも、ダッシュしながらガラケーで時間を確認して、本体を落とすことも度々、わたしのガラケーは傷だらけで、いつ壊れるか大変心配である。
こんな具合に大変困っていたのだが、世の中にはスマホやガラケーの時間を示す機能のみに特化し、しかもベルトで手首に固定できる「腕時計」と呼ばれる便利なものがあることを知った。
早速私の過酷なスケジュールや厳しい使用条件に合うものを探した。
そして、LEDバックライトを搭載した世界的な腕時計の名器「カシオ・スタンダード」を見つけ出し、豊富な資金源から予算案として提出した1000円札1枚と500円玉一枚が支給され、無事に私の活動を支えるアイテムとして導入されたのであった。
驚くべきことにこの実売価格1500円ほどの腕時計には「アラーム機能」までついているのだ!
これで私がレッスン中に熟睡したとしても、決まった時間にアラームが鳴ってレッスンを終了することが出来る。
さて、世の中には携帯電話を送受信する装置と受話器に分けて有線でつないだ「固定電話」というものがあるらしい。その固定電話とやらが携帯できるようになれば、私がガラケーを落とすこともいよいよなくなるだろう。楽しみである。
今朝早く家を出た私は当てもなく旅に出た。気ままに電車を乗り継ぎ、都心とは逆方向にどんどん向かっていくと、千葉県のある町にたどり着いた。
ここは「カーマ・ガーヤ」と呼ばれる一帯であるそうだ。
ウィキペディアによるとカーマ・ガーヤとは、スラヴ民話に登場する妖婆のことで、各種の民話で語られるほか、芸術分野ではムソルグスキー作曲の組曲『展覧会の絵』の1曲「カーマ・ガーヤの小屋」で知られる。
(*画像は「カーマ・ガーヤの小屋」資料提供:ヤーマシーナ商事)
ここの住民たちはよそ者である私に対して警戒する様子を隠そうともしなかった。
朝食をたべようと通りかかったイセーヤーなるハーツ・トーミ駅前の甘味店でおにぎりを買ったのだが、代金を支払うまで頑として品物を渡してくれなかったほどだ。
この町にはいくつもの路線の線路が縦横無尽に張り巡らされていて、外部からの侵入者が簡単には入ってこれないようなシステム作りに成功している。
同時に、住民たちが安易に外界に出られないようなシステムにもなっている。
彼らは「単なる交通渋滞」というが、そんな子供騙しの嘘を信じるほど私も坊やではない。
さすがあの新興宗教「スマイルベア教団」の本拠地があると噂されるだけの土地柄である。
この町には美味しい食堂が多いのも特徴的である。
一度食べたら忘れることの出来ない味、しかし頻繁に訪れるほど歓迎はされない…私は試されているのか?フージ・カーワの美味しいうなぎを食べながら私の心は揺れるのであった。
*何やらすっかり恒例のある集会が行われたようである。
という調子で、始まったばかり関東幻想奇譚だが、いきなり終わりを迎えることになった。
理由は、あまりこの町について深く関わるなと警告が来たのだ。
その警告はあまりにも大きく私の目に飛び込んで来た。
カーマ・ガーヤ・セレモという謎の組織による電話番号を装った恐ろしい警告に私は震え上がった。命の危機を感じた私は一心不乱に歩きハーツ・トーミ北駅を目指した。
バレていたのだ。私の稚拙な嘘など奴らにはすっかりお見通しだったのだ!
実は私は偶然この町にたどり着いたのではない。すでに7年ほど前から年に一度この町に来て諜報活動をおこなっているのだ。
こうなっては仕方がない。ダメもとで「カーマ・ガーヤの寺子屋」に突撃するしかない。
おそらくムソルグスキーのあの名曲のオマージュとして名付けられたであろうヌードルレストラン「カーマ・ガーヤの寺子屋」には、2年前に地元のレジスタンスの一員であるピーウラ・ヤスアキフスキーの手引きで、侵入に成功していた。しかし昨年は「スープが終了した」という謎のメッセージを貼り付け、そのシャッターをついに開けようとしなかった。
勝算は無いが、意を決した私はわずかな可能性を信じて足を速めた。
出発して25分後、思い荷物を持ってひたすら早歩きした私はとうとう「カーマ・ガーヤの寺子屋」にたどり着いた。
がしかし、予想外の結末にその場で崩れ落ちた。なんと土・日・祝日の夜の営業はやめてしまったのだ!
そうなのだ。そもそも、もう最初から私には勝ち目などなかったのだ。
私の行ける時間に営業しないカーマ・ガーヤの寺子屋、踏み切りがなくなったのに依然として渋滞のなくならない道路…この町は完全に私を排除することに成功したのだ。おそらくこのままカーマ・ガーヤ大仏のあの美味しいうどん屋に戻っても、私を嘲笑うようにシャッターを下ろしていることだろう。
だいいち、ラーメンに傾いた気持ちをうどんに立て直すには時間も気力も不足している。
高架鉄道になったハーツ・トーミ北駅。煌々と灯りがついているのにひとっこひとりおらず、かえって寂しげだ。
こうして私は2年連続で向かいのライラ・イテーイというレストランでラーメンを食べたのであった。
千葉の秘境、カーマ・ガーヤ。私の後をついで活動してくれる同志にはライラ・イテーイのポイントカードを進呈するので、是非立候補してくれたまえ。
以上です!編集長~~!!
未来巨匠は言った。
「師よ、一緒の写真を撮っていただけますか?」
「汝、一緒の写真を所望か。今日はアポフェスTシャツも着ておるしな。よかろう」
「師よ、早くお願いいたします」
「汝、私の中華製タブレットの起動が遅いのを知っておるはず···あれ?汝は!」
「師よ、トオイでございます。菅沼くんと一緒の写真、ちゃっちゃとお願いいたします」
近くにいたなんの罪もないK崎嬢まで巻き込んでポーズを取る弟子たちを、師はようやく起動したタブレットで写真に納めた。
「では、次は私が···」
「師よ、ありがとうございました。ついでにこの写真をFacebookにでもアップしていただければ師への尊敬の念が尽きることはないでしょう」
「う、うむ・・・まぁよかろう。汝たち、子供の頃と同じように仲良きことは善いことであるぞ。いつまでも仲良く切磋琢磨・・・って聞いとらんのかーい!ど、どこにいったのだ・・・」
もうどこにも見当たらない弟子たちを探すのをあきらめて、師はティアラこうとうを後にしたのだった。
その跡をたどれば住吉駅にたどりつけるほどの涙が師の頬を伝った。
以上です!編集長~~~!!
昼に、我が最寄り駅である戸田駅で元弟子である未来の巨匠と待ち合わせ。
「新宿で汝の埼京線に乗ったか知らせなさい」
と送ったメッセージは
「自分専用の埼京線車両を持てるぐらいの巨匠になって欲しい」
というわたしの強い願いをこめた高尚な言葉遊びであって、決して誤変換ではなかったことをここに宣言しておく。
快速に乗ってやってきた元教え子である未来巨匠を戸田公園でクルマに押し込み、師は問うた。
「汝、食べたいものを申してみよ」
未来巨匠は言った。
「師よ、わたしは贅沢は一切申しません。なんでも良いのです。ただ、たっぷり食べられればそれで良いのです」
師は財布を忘れたふりをしてツマを見た。
ツマがこれほど激しく動揺している姿を見るのは初めてかもしれない。
動揺した夫妻は未来巨匠を連れて、あろうことか蕨駅近くの寿司店に腰を下ろした。
「汝、知っておるか。ここの天丼は大変に美味しい」
寿司屋に入ったのに、850円のランチ限定天丼の素晴らしさを師は今までの人生をかけて熱心に説いた。
未来巨匠は言った。
「師よ、わたしは何でも良いのです。ただ、たっぷり食べられれば。それでは天丼をいただきます」
師は天丼を3つ注文し安堵のため息をついた。
その時、カウンター席の客にすし職人が説明する大きな声が彼らの席まで聞こえてきた。
「今日はサービスデーなんで、握りはなんでも2貫で340円なんですよー!」
師は問うた。
「汝、いまの話をどう思う?」
「師よ、わたしは本当に何でも良いのです。ただ、炙りサーモンは大好きです」
「汝、大トロもウニも340円というのに炙りサーモンというのか?西班牙国でなにを勉強してきたのだ?!」
ツマが続いた
「私はウニが食べたいわ。愛媛のコチもあるわよ」
「師よ、わたしは炙りサーモンも好きですが、鹿児島のカンパチにも大変に興味があります」
「汝、大トロやウニはいらんと申すのか?」
「師よ、わたしは贅沢は申しません。出てきたものは何でも食べます」
完全にタガが外れてしまった彼らは財布の中身も忘れ、たっぷりと腹を満たしてしまった。
師は問うた。
「汝、たっぷり食べられたか?」
「師よ、おかげさまでたっぷり頂きました。あとはデザートさえいただければ師に対する尊敬の念が尽きることはないでしょう」
「こ、この店にはデザートがないが、あん肝でも代わりに食べるか?困ったのう…」
「師よ、心配には及びません。近くに喫茶店がございます」
未来巨匠がイチゴの何とかという甘味をゆっくり味わい落ち着いたころに師は問うた。
「汝、そういえば今日は何をしにここまで来たのだ?」
「師よ、今日は8月18日のくるるホールでのマサウィコンサートの舞台打ち合わせに来ました」
「そ、そうであった!汝、今はナンジであるか?」
「師よ、わたしはいつでもわたしでございます」
「そうではない!いまは何時だと聞いておるのだ!」
「師よ、すでに午後3時を回っております」
「いかん!早くゆかぬと打ち合わせが出来んぞ!」
彼らは急いで打ち合わせに向かった。
くるるホールに向かう道すがら、師は未来巨匠に問うた。
「汝、コンサート当日の昼食は何が良いか?お弁当か?サンドイッチか?」
「師よ、わたしは贅沢は申しません。先ほどの寿司店で結構でございます」
その跡を追えばくるるホールにたどり着けるほどの大量の涙が師の頬を流れた・・・。
以上です、編集長~!!
四半世紀ほど前、
「ギター界で成功する人は『大』という字がつく人が多い」
と言われたことがありました。
当時からスターだった、鈴木大介、大萩康司、そして木村大。
それなのに軽率に点を足して大切な私の名前を「大」ではなく「太」にしてしまった我が両親を恨みました。
そのことを両親に訴えたら
「『犬』にしなかっただけでもありがたいと思え!」
と逆ギレされ、今でもこの話は「キム家3大悲話」のひとつとして語り継がれています。
さて、そんな「3大ギタリスト」の一人、木村大さん。
今回のギターカーニヴァルではあのBOWWOWの名ギタリスト山本恭司さんとの共演です!
一体何をやるのか、大変楽しみでございます!
こんにちは。
キンツマの夫、第1アーチストのキムです。
この一カ月で3回目の長野県、先月は長野市と上田市、今回は千曲市に寄せていただきましたー!
第5回目になった、篠ノ井高校と上田染谷丘高校のギターマンドリンクラブ合同練習会に、なんとわたくしがゲストで呼ばれたのでした。
合同合奏の迫力あるアンサンブルに圧倒されました!
オジサンさんもこっそり混ざってみようかと、ギターを脇に抱えて忍び足。
隙をねらって近づいてみました。
・・・あっさり見つかりしばらくうしろで立たされました。
さて、オジサンの出番です。
マンドリンやギターを手にしたばかりの純粋で、キラキラしたまぶしい彼らの瞳は、ほぼ瞼の下に隠れて見えないのではないかと心配しましたが、最後まで熱心に聴いてくださいました。
両校の指導にあたられている旧知の土屋美奈子さんと、初めてデュオ演奏!
土屋の美奈子さんはマンドリン合奏団「玄」
の主宰者で指揮者でもあります。
*ちなみに「ハダカの美奈子」さんはこちら
イタリア物をメドレーで3曲ご一緒させていただきましたよー。
写真も常設チームのようにバッチリ良い感じです。
・・・と言いたいところですが、あとから見たらちょっと離れすぎだったので、上の写真は修整して少し距離を詰めたのでした。
詰めすぎた失敗例。
最後にみんなで記念撮影!
顧問の先生方にも大変お世話になりました。
ありがとうございました!
演奏のほかに、ギターパートの皆さんへのレクチャーもやらせていただきました。
マンドリンパートの皆さんも興味を持って熱心に聞いてくれて、良い会になったのではないかと思います。
わたしのレッスンや、講習を受けたことが一度もない人は信じてくれると思うのですが、わたしはこう見えてもなかなか教え方は上手なのです。
さて、高校生との会が終わるな否や、こんどは打って変わってグーっと大人な会に移動です。
近くにある名湯、戸倉上山田温泉にある、その名も「上山田ホテル」が会場でした。
こちらの演奏会、そりゃぁもう大変好評だったので、以下、その様子を写真でご紹介いたします。
上山田ホテルでのコンサート受付にて。
土屋さんと、左はマンドリン合奏団「玄」のコンサートミストレスのツタヤさん。高校の先輩後輩で長いお付き合いの盟友です。
ツチヤさんとツタヤさんで「ツヤツヤ姉妹」と呼ばれているとかいないとか・・・。
今回、お二人が中心に企画してくださったのでした。
ありがとうございました!
演奏会終了後に、スタッフの皆様方と。
若い男性は最近「玄」に入ったばかりでスタッフに駆り出されたとか・・・感謝です。
これからもよろしくお願いいたします!
そうそう、上山田ホテルでの写真を撮ってくれたのはじじいサマースクールでもおなじみのギター製作家の佐久間悟さんなのですが、撮ってもらうだけ撮ってもらい、ご本人の写真が一枚もない・・・すみません。
それから、佐久間さんも含めて、わたしだけがメガネ忘れたみたいになっていてすみません。
上山田ホテルの女将さん、実は土屋さんの同級生で、いろいろとご配慮いただきました!
素晴らしい食事と、単純硫黄泉の温泉、そしてゆっくりお話しできるようにと8人まで泊まれる大きな部屋を我々夫婦に提供して下さいました。
おかげさまでご期待通り(?)遅くまで盛り上がりました!!
さぁいかがでしたでしょうか、今回の
「YOUは何にしに信州へ?」千曲市編。
明日は、小布施番外編をお届けいたします。
次回はあなたの街に訪れるかもしれませんよー。
今日から4月、ということでもう先月の話になってしまいますが、一昨日の日曜日は、「埼玉の白金台」と称されるオシャレタウン、みずほ台で催された「ねずみの会」にゲストとして招かれて、アマチュアギタリストの皆さんの演奏の講評と、15分ほど私も演奏させていただきました。
6時間に及ぶ長いイベントでしたが、皆さんの演奏は素晴らしく、その後の打ち上げも含めて大変楽しく充実した一日でした。
さて、今日は「東京の浦和」と呼ばれるほどのオシャレタウン、成増で催された「ナメクジの会」にゲストとして招かれて、演奏と塩かけをさせていただきました。
参加者の皆さんの様子はこちら。
塩をかけて自分に合った弦長にまでナメクジを収縮させて演奏します。
サイズは良くなったのですが、とにかくすべるので大変でした。
次回はすべり止めのゴムシートを持参したいと思います。
一昨年発売したわたくしのCD「ギタロマニーの凱旋」ですが、カセットテープでの販売はないのかと問い合わせが殺到していたので、このたびいよいよカセットテープでの販売を開始いたします。
妻と二人で家庭用CDラジカセでダビングして、コンビニで縮小カラーコピーしたCDジャケット画像をひとつひとつハサミで切り取って装着するという完全手作業ゆえ、少しお時間がかかりますがもうしばらくお待ちください。
完成したカセットテープですが、まずは高速道路のサービスエリアで停車中の観光バスに配布いたします。
なんでも「きみまろ方式」というらしいのですが、詳しいことはわかりません。
妻からは、これが上手くいったらテレビに出れるから名前も「綾小路キムまろ」にしろと言われていますが意味が分からないので固辞しております。
レコードで欲しいという方もいらっしゃったのですが、さすがにレコードはダビングできないので、我が家にあった松山千春の「木枯らしに抱かれて」に拡大カラーコピーした「ギタロマニーの凱旋」CDのジャケット画像を糊で貼りつけて送らせていただきました。
「歌声も良いが何と言っても歌詞が良い」と大変喜んでいただきました。
もし、再びレコードでの注文が入ったら「サイモン&ガーファンクル・グレイテスト・ヒッツ」にコピー画像を貼り付けて送ろうと思います。歌詞カードもつけますのでご安心ください。